ならやま会 人間は皆同等、共にあゆみともに生きる
プライバシーポリシー サイトマップ お問合せ    
事業案内 創作活動・製品 事業・決算報告 ライブラリー スタッフ募集 アクセス近隣紹介

アクセス・近隣紹介
ならやま会とは
いずみ園
わかくさ園
もえぎ
ウィズ・ユー
ホームヘルプこすもす
 
近隣観光紹介
※北山十八間戸以外の写真は奈良市観光協会提供

【東大寺】
奈良時代に建立された東大寺は、聖武天皇が仏教の考えと、国民の幸せを守るために建てられたお寺といわれています。大仏殿金堂を中心に、二月堂、法華堂(三月堂)、三昧堂(四月堂)などで構成され、美しい緑と天平文化の香りを楽しみながら散策することができます。世界最大のブロンズ像と称される大仏は、正式名称を盧舎那大仏(るしゃなだいぶつ)といい、高さは約15m(五丈三尺)。工事は745年(天平17年)に始まり、開眼供養会が752年(天平勝宝4年)に行われているので、実に7年もかかっています。その後、天災や戦火にも見舞われ、幾度となく大きな傷を負いましたが、そのたびに人々の協力を得て修復され、今も大仏は奈良の地を見守っています。
東大寺
【春日大社】
奈良時代、茨城県の鹿島神宮や千葉県の香取神宮、大阪府の枚岡神社から尊い神々様をお招きして、お祀りしたことにより誕生した春日大社。藤原氏の氏神を祀っていることでも有名です。緑の森を背に、朱色の柱、白い壁、檜皮屋根の本殿が織りなす美しいコントラストは、古都奈良を代表する景色です。また、神が白い鹿に乗って奈良の地においでになったという言い伝えにより、鹿は神の使いと位置づけています。社内には、御本殿のほか、3000点以上の収蔵品を誇る宝物殿をはじめ、萬葉集にうたわれた植物を鑑賞できる萬葉植物園なども併設されており、初夏の頃には、春日大社の社紋である藤の花の名所として、多くの人々の心を癒しています。
春日大社
【奈良公園】
奈良の都の中心地一帯に広がる奈良公園は、660ヘクタールもの広大なエリアに東大寺、興福寺、春日大社、国立博物館、正倉院等々の名所を擁する奈良を代表する公園です。緑の芝生に遊ぶ鹿の群、四季を彩る櫻や紅葉の木々など、気軽に自然を体感できる公園としても、人々に愛されています。 奈良公園は6つの園地と、若草山や春日山遊歩道などの散策コースが整備されており、多彩な魅力に溢れています。寺社仏閣観光のおまけというよりも、心地よいハイキングコースとしてもおすすめのエリアです。
<登大路園地>
芝生と木々、その向こうに見える寺社が古都奈良の風情を醸し出す広場です。興福寺の境内の一部を開放した、奈良公園の中でも最も古いエリアです。
<浅茅ヶ原園地>
春日参道の南側に広がるエリア。重要文化財の円窓亭や休憩施設の川股亭、片岡梅林などがあり、鷺池の浮見堂も必見です。
<荒池園地>
広大な奈良公園の中で貴重な水辺のエリア。園地には芝生が広がり、荒池のほとりにはベンチが並びます。憩いの場所としてもおすすめです。
<浮雲園地>
奈良公園の中心部にあたるエリア。東大寺南大門や若草山の美しい稜線が眼前に広がり、古都奈良のよさを一目で実感できます。
<春日野園地>
奈良公園の中でも多目的な用途に使われる、広大な芝生が印象的なエリア。三社池や吉城川、白蛇川などを擁し、野外コンサートなどのイベントに利用されることも多い園地です。
<猿沢池園地>
興福寺五重塔と池畔の柳、池の亀・・・。商店街に最も近い景勝地です。
<若草山>
標高342m、33ヘクタール。奈良の都を見守るように広がる芝生に覆われた山です。
毎年1月には山焼きが行われ、多くの観光客で賑わいます。ハイキングコースも整備されており、ちょっとしたハイキングを楽しめます。山頂には前方後円墳の鶯塚古墳があり、標高300m以上の山頂にある古墳の中ではわが国最大級です。
<春日山原始林>
木々が鬱蒼と茂る、ありのままの自然が残った原始林です。樹齢千数百年ともいわれる巨木たちが静かに聳え立ち、歴史を大切にする奈良の魅力を再認識できます。周囲には遊歩道が整備され、渓谷沿いに色づく紅葉の季節は特におすすめです。
奈良公園

奈良公園

奈良公園
【般若寺】
629年に高句麗の僧が建立した同寺は、聖武天皇の時代に平城京の鬼門鎮護を願って堂塔を建立されました。その後、戦火を被るなど、危機に見舞われましたが、文殊の霊場として、庶民に愛される寺となりました。国宝の楼門は、鎌倉期の建築様式が美しく、十三重石塔は重要文化財です。春の山吹、秋のコスモスが咲き乱れる中にたたずむ古寺の姿から「花の寺」として有名で、毎年、多くの観光客で賑わいます。
般若寺
【北山十八間戸】
東大寺、興福寺の堂塔を望む丘陵に建つ東西に細長い白壁の建物。それが日本最古の福祉施設とも言われる北山十八間戸です。鎌倉時代後期、真言律宗の僧である忍性が癩病(ハンセン氏病)患者を救済するために開いた療養施設で、十八間の棟割長屋形式の建物なので北山十八間戸と呼ばれるようになりました。創建当初は般若寺の北東にありましたが、永禄十年(1567)の合戦の際に般若寺や大仏殿とともに焼失。寛文年間(1661〜1672)に現在の地に再建されました。焼失を逃れた板戸が今も使われており、当時の面影を残しています。収容者に衣食住を提供し、その数はのべ18000人にのぼったと言われています。
北山十八間戸


Copyright(C)2009 NARAYAMAKAI